1964-04-16 第46回国会 衆議院 法務委員会 第27号
吉村隊長なんかは、かかれと言って数百名の傷害者を出しましたから、私を筆頭に告訴しましたけれども、かかれと言ったのを私なんか目の前に見ておるから、熊本地方検察庁にそれを告訴いたしましたが、二年後においては、何ら確定した証拠がないというのでみんな不起訴であります。これが現在のこの警察権力の労働運動に対する悲惨な情景であるわけです。
吉村隊長なんかは、かかれと言って数百名の傷害者を出しましたから、私を筆頭に告訴しましたけれども、かかれと言ったのを私なんか目の前に見ておるから、熊本地方検察庁にそれを告訴いたしましたが、二年後においては、何ら確定した証拠がないというのでみんな不起訴であります。これが現在のこの警察権力の労働運動に対する悲惨な情景であるわけです。
いま……(「委員長議事進行」「議事進行委員長」と呼ぶ者あり)曉部隊、吉村隊長は七年の刑を受けております。そういうような事実が出ておる。
というのは、吉村隊長及びその周囲の小数者が同胞の兵隊を酷使した。そうして自分らの地位を守り生活を楽しむためにすべてをそうしたふうにして来たということは、あの証言の中でもはつきり出ておるではありませんか。
○中野重治君 「所謂反動分子の帰還遅延は否定を許さざる事実であり、」というのは、例えば輸送開始をされた四六年の十二月末、四七年の初めか半ば頃には、昭和二十二年四月には、即ち吉村隊事件の、いわゆる吉村隊長自身も帰つて来ておるというふうなこととの矛盾は、もう解明されたこととしてあるわけですか。
○北條秀一君 委員長に対する質問ですけれども、今中野委員の質問された点は、吉村隊長が反動分子でありながら日本に帰つて来ておるじやないか。だから先のいわゆる反動分子の引揚を遅延さしたということを言つておりながら、実際はあの通り帰つて来たじやないか。
○千田正君 長命証人にお伺いいたしますが、只今の天田委員から聞かれた吉村隊のことでありますが、現在吉村隊長としての問題は裁判に係つておるのであります。昨年同じこの室におきまして、彼を喚問していろいろ証言を得たのでありますが、その最後の問題についていわゆる吉村隊長の証言から言えば、自分が隊員を処罰したのは当時の蒙古側の命令によつて処罰したのだ。
その中で分つている名前は星子、高橋、峰島事件、この三つの事件が特に大きな事件でありまして、吉村隊長事件よりはもつとこの方が惡虐な、フアシスト的な残虐な行為として、シベリアにおいては、真面目な民主主義者に非常な問題として取上げられている問題であります。いずれもこれは寒中、而も夜中に俺の命令を聴かないというので、屋外に杭又は古木に裸体で縛り付ける。
こういう話が、証言がありましたが、ジユネーヴの浮虜規定の第三十二條には、懲罰の手段として、労働條件の一切の加重を禁止するという條項があるのでありまして、先般吉村隊をやはりここで証言をして貰つた場合において、非常に吉村隊長と証人の間を食違いがあつた。それは一方はソ連側の命令で強制労働を強いると言う。一方は吉村隊長の個人の考えで、隊員に対して強制労働を強いた。そうしてああした問題が起きた。
(「憲兵や兒玉機関に関係はありません」と呼ぶ者あり)それでは事件の政治的の問題を申上げますが、これは單に吉村隊長を支持されて、蒙古政府に全責任を負荷しようとする点、これが排外的な行動であるということ、これは丁度日本の軍國主義時代の外交政策と同じであると思うのであります。(拍手)私は決して白いものを黒とは申さないのであります。
○星野芳樹(続) 吉村隊長の心情と相似ておることを指摘しなければ、私の言つたことが嘘か本当か分りません。その意味で申上げます。
そうして吉村隊長と心情が相通ずるものがあるということを指摘したのでありますが、これは誠に吉村隊事件の審議の経過を通じて、明々白々の事実として明らかにされたのであります。
○松井道夫君 こういうことは、それならば御承知でございますか、淺岡委員が、曉に祈らされた人の数についての証人の証言が食い違つたので、証人十数名の中一人だけが、即ち吉村隊長だけが、四十二名だということを言つておる。他の十数名が百数十名だと言うておるといつた状態のときに、更に吉村隊長に好意を持つておる隊員数名を呼んで調べなければならんということを、主張されたというような事実を御承知ですか。
○松井道夫君 軍國主義的であるとあなたが認めざるを得ないという理由は、吉村隊長をあなたから見て殊更に庇護するといつた点からですか。
○松井道夫君 淺岡議員が、委員会で十数名の証人を取調べた結果、すべての証人が暁に祈らされた人の数は百数十人だろうと思うと言うておるに拘わらず、吉村隊長のみは四十二人であると言つておる。それで大体事実の認定が、どちらが正しいか心証が得らるべき状態にあつたとき、更に淺岡議員が吉村隊長側の証人を数名呼ぶんだというようなことを特に主張されたような事実がありましたか。
○松井道夫君 それでは淺岡議員が、外に矢野議員に岡元議員も加わりますが、特に殊更に吉村隊長を庇護する、その軍國主義的な、或いはまあ封建的なといいますか、そういつたような傾向を指摘することに反対したり、又はその外特に吉村隊長を庇護するというような事実がありましたですか。
この報告書において吉村隊事件の原因を二つに分けて、つまり環境、蒙古における給養状態、それから吉村隊長の統制、これを一部は一部はと、(「そんなことで発言を求めるのは怪しからん」と呼ぶ者あり)默つて聽け。と言つておりますけれども、これは決して公平でない。何故かというと、蒙古における給養状態は、証人の証言においても、第一年には非常に不足な点もあつたのであります。
(「時間だ時間だ」「降壇々々」と呼ぶ者あり)從つて外蒙においての吉村隊長というものは、特殊な、全く特殊な事件であります。
これにつきましては、報告者は、作業がどうとか、給養がどうとか、処罰がどうとか、そういうような外的條件に相当の、吉村隊長のなした行動の責任と関連して、それらの事情に責任の一半を負わせております。併しながら吉村隊長のやつたその目的というもの、その手段というものについては、これは十分な檢討を要するものであります。これについては証言は十分なものを與えております。
(「眞直ぐ向いて言え」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)実は在外同胞引揚問題に関しまする特別委員会におきましては、御案内のように先般來いわゆる吉村隊長事件に対する調査に当つて、各委員、殊に世論の相当大きな焦点となつておりましたので、一層愼重に審議をして参つたのであります。
それから第三の例としまして、吉村隊は軍人、軍属、それ以外の民間人が集まつておつて、非常に混雜した統制の取れない隊であつた、それがために吉村隊長も苦労したろう、そういうようなことが述べられております。併しこの点においても、これは吉村隊長の立場を報告者が庇つておるものである。入蒙当時長谷川隊長は部下に対して、身体まで毀して作業することはない。それでとかく職場では兵隊と蒙古人とが衝突しておつた。
これは一度速記を取つた筈でありますが、もう一度申上げますと、以上の点より総合して考えると、指揮者の吉村隊長が旧態依然たる封建的旧軍隊秩序を維持していたことと、同時に隊員も亦これと同樣のものを持ち、隊長に屈從していたことが因となる果となつて本件のごとき事件となつたのであつて、我が國民として十分反省すべき点と考えるのであります。
何故と言うと、この報告書全体におきまして、これは細川さんもいろいろ点で指摘されましたが、吉村隊長の行動を、單に環境で止むを得なく、ただ努力が足りなかつたという程度にまとめてあるのであります。併しながら実際においては、これは明らかに諸証人の証言を聞きますれば、吉村隊長に重大な道徳的な錯誤があつたということが確かであります。
今の吉村隊長事件の方はどちらかと言えば、旧軍国主義者が向うに取入つて日本人をいじめたという暴力行為である。あれを調べることは決して反ソ的でも何でもない。あの委員会へ出てみますと、両方を公平に調べておるようだし、共産主義者でも相当思い切つた発言をしておるようです。決してあの委員会の運営そのものが反ソを目的として、初めからやつたのだというふうには私は理解できない。
ただその際に論議になりました点をここで明らかにして置きたいと思いますが、第三節の「最後ここに以下」数行が次のように直そう、それは「以上の点まで綜合して考えると、指揮者たる吉村隊長が旧態依然たる封建的旧軍隊秩序を維持していたことと同事に、隊員も亦これと同樣のものを持ち、隊長に屈從していたことが因となり果となつて、本件のごとき事件となつたのであつて、我國民として十分に反省すべき点ありと考えられるのである
こういうふうにして、そうしてそれがあるために、吉村隊長はこれを統率して行くのに非常に困難があつたと、こう來ているのです。実際は吉村隊長はこの間にあつていろいろ長谷川隊長との紛爭も起して、それから自分の地位を固めるために外蒙に取り入つて、そうして無理をやつたというところに問題があるので、雜多の者が集つたということには問題があるのじやない、逆になつている。それですから反対を唱えるわけなんです。
で今までの証人の結果では吉村隊長が親ソ的であり、長谷川隊長は反ソ的であつて、吉村隊長の方がよくなつているが、吉村隊長は決して心からなる親ソ、誠意ある親ソではなくて、自分の恐怖感から來た非常に幻影におびえた親ソなんであつて、それがために却つて悪かつた、他の收容所等の帰還者の状況を聞きと、初めはやはり兵隊の方もやけくそで、働いたつてしようがないというのでいろいろな摩擦が起きたが、そのうちに感情も融和して
○矢野酉雄君 それも吉村隊長が全面的に責任を負うべきものは責任を負わせるような、確実な証言を総合して断定すべきであるけれども、吉村隊長はその命令を受諾して、而も一本に二円ずつの報酬を、これを一人々々の労働した元の兵隊達に、隊員に分けてやらなければならなかつたが、中間において全部搾取された、モジツク中尉に……。
○矢野酉雄君 日本人そのもののいわゆる吉村隊長や伊東少尉が、いわゆる蒙古政府から來る者はときどきやつて來るとあなたは今言われたのですが、常時これを指揮監督するというようなことは、結局は吉村隊長が伊東少尉か、それらの諸君じやないのですか、それもまだ分らんと言うのですか。
○永井証人 重きを置かれたというか、吉村隊長は私のことを敬遠しておつたような傾向だつたのであります。 次にこの吉村隊長という人の性格は、人から言えば余計反撥するような性格の持主なのでありまして、人の言を聞入れるような性格の持主ではないのであります。
○北條秀一君 それではお伺いしますが、そうした蒙古側の吉村隊長に対する信頼の度が非常に強いということが一般隊員に分つておつて、從つて吉村隊長の権威に屈したのでなしに、蒙古側の権威にすべての隊員が屈したということでありますか。
○天田勝正君 第一の吉村隊事件の証人喚問を続行するか否かの問題でありますが、このことは淺岡委員が喚問することを強烈に主張しておるのでありますが、私をして言わしむれば、当委員会が黒白をつけて吉村隊長を委員会の名によつて告発するというような申合せ、或いは決議によつて今回の喚問がなされたならば、更に喚問を必要とするだろうと思うのであります。
三日間に亘りまして、済んだ後静かに自らも委員の一人として反省してみますると、最初のあの証人十六名の喚問に当つて、私共が強く申上げてこの委員会にお諮りいたしましたことは、当初吉村隊長、即ち池田重善以下二十六名の証人を一應喚問する形において、各証人の名前が二十大名があつた。その中で、でき得れば……被害者側の方の立場に立つた、或いは告発をした方の人間という方の証人のみを喚問しておる。
○矢野酉雄君 そうすると堀金証人は、吉田伍長が逃亡して、そして蒙古側によつて捕縛され、吉村隊長が呼び出されて、その後のことは、吉村隊長は呼び出されたために、將來逃亡等の場合には、蒙古側の命令によつて嚴罰に処するということを、あなた自身隊員の全体の中の一人として、その隊長の訓示を聽かれたのですか。
○千田正君 先般他の証人からいろいろと、吉村隊長は非常に怖い隊長である。ということは、部隊内において相当スパイ網を張つておる。どんな親しい仲において交された言葉でも、それが凡そ吉村隊長のことに関する場合においては直ちに吉村隊長の耳に入り、そうしてそれに対する報復としては超過ノルマのようなもの、或いはその他の営倉に付する処罰のようなことが行われる。
その当時、ナホトカに着きましても、まだ吉村隊の隊員は吉村隊長に対しては相当の恐怖感を抱いておりました。それとナホトカに帰つて参りまして、もうすでに海が見えた、もう少し我慢をすれば内地に帰れる、ここに至つて事を荒だてるより内地に帰つてからという観念の下に、吉村隊長を指摘する者が誰もいなかつたのであります。
○矢野酉雄君 又、帰國されてから後、当時を顧みられて、吉村隊長に対するあなたの人物観、簡單でよろしうございますからお述べ願いたい。蒙古におくられたときに、吉村隊長にどういう氣持を持つておられたか。
○細川嘉六君 鎌谷証人にお聽きいたしますが、今外蒙側が吉村隊長のバツクになつた、そのバツクになるために吉村隊長は何かやつたのですか。何か事情がありますか。それを一つ伺います。
○証人(笠原金三郎君) 吉村隊長はいつも言つておりました。この外蒙ウランバートルに入つたならば、十年や十五年で還れるものではない、そうすれば私の地位、吉村隊長の地位というものをどこまもも築いて置かねばならないという観念の下に、吉村隊長自身がやつたことであると私は思います。